そして、

犬、そして物語

元旦のこども新聞を見ていたら、犬と人間のいまむかし的な特集があって、そこに犬の人気ランキングが出ていた。柴犬は5位である。ふざけんなである。柴犬は飼ったことはないが僕は柴犬が大好きである。昔好きな子に柴犬みたいだねと言われたことがあるが今まで言われたどんなほめ言葉よりも嬉しくて帰って四つん這いになって走り回った。

バムとケロのにちようびという絵本がある。僕が小学生ぐらいのときに母が買ってきた。柴犬も好きだけど僕はこのバムという犬も好きだ。笑うと何ともいえぬエロい顔になるこの犬が好きだ。昔バムに似た犬が僕の家に入り込んできて2カ月ぐらいエサを与えていた。名前はもちろんバムと名付けた。バムは昼間はどこかへ散歩しているが夜には家の庭に帰ってきて母の作るみそ汁などを食べていた。そのときに僕は犬についていろいろ勉強した。犬はネギを食べてはいけないことをそのとき初めて知った。

話が逸れた。バムとケロの絵本の素晴らしいところは、“みんな自由にやっている”ところである。バムとケロシリーズには犬のバムと蛙のケロ以外にも名前の分からんキャラが多数出演する。彼らはページのいたるところにちょこっと登場するのだけど、みんななんかをしているのだ。モグラが急に穴から出てきてペンキ塗りを手伝っていたり、サメのヒレかと思ったらペンギンだったり、本の物語とは関係ないところで各自がそれぞれ自分の物語を持っているのである。

 

僕たちは自分で勝手に目の前の出来事を物語にして生きている。理解できないものを、物語にすることによって理解しようとする。なぜ上手くいかないのか、それはきっと自分がこれをしなかったからだ。あの人はなぜあんなに性格が悪いのか、それはきっとああいう環境で育ったからだ。他者を理解しようとするときも、自分の想像から生み出される物語を使って理解しようとしている。バムとケロシリーズでは、本編の物語からはみ出たところで小さな物語が存在している。今この目の前の出来事には、自分が作り出した物語だけでなく、周りの誰かが作った物語も存在していることを忘れないようにしたい。

 

僕が愚痴聞き屋をやっている理由の一つに、他人の物語をちょこっと盗み読みしてみたいという身勝手な好奇心がある。31日に2017年最後の愚痴聞き屋を開いた。年越しをどこかおもろい場所でしたいからと宿も決めずに埼玉から長野へやってきた28歳のサラリーマンがいたり、とある事情で年に一度しか息子に会えないというお父さんと出会ったり(肉まんを3人分おごってもらいました。本当にありがとうございました。)、名古屋城スマホを落としてしまい家康を殺したいと渇望する青年がいたり、もうそこえぐったらめっちゃ面白いやんっていう人たちがこの年末に長野駅を暇そうにぶらぶらしていることが分かって本当にテンションが上がりました。

 

物語に共通項を見つけたとき、人はこの上ない喜びを感じます。バムとケロシリーズでも、何気ないサブキャラの物語が、本編の物語と繋がっていることがあるのですが、それを見つけたときのワクワク感といったらありません。

 

自分の物語、誰かが作った物語、勝手に想像して楽しみながら2018年もやっていきたいです。